故人の偲び方
先日のお墓参り記事に続き、長くなってしまうのでお墓や霊園について。
古き良き日本と言いつつ、変化も求められる今。風習というものがどんどんなくなっていくようにも感じ、だからどうすることでもないかもしれないけれど、少し寂しいように感じた。
先祖を大切にする、という気持ちさえあればお参りにわざわざ行かなくてもいいかもしれないが、そういうきっかけや行動がないと、人は忘れやすい生き物のため、自分のルーツも風化していってしまうように感じる。
先祖を偲ぶ慣習は、日本だけでもなくあることなので、人としても必要な行事かもしれない。
https://www.buzzfeed.com/jp/gabrielsanchez/this-is-how-people-around-the-world-honor-the-dead-1
こうやって写真で世界の様子を見ると、お墓のデザインというのは、ほとんど手を付けずに保存されたデザインだとも感じた。
とはいえど、技術の継承という意味でも、時代に合わせたニーズに合わせて形も変わっているようだ。
前述のスペインのお墓が印象的だったが、個性よりも墓地という全体で見たときの統一感があったほうが、風景として美しく、機能的になったりするのではないかと思った。映える景色、というと軽いように聞こえるが、墓地という敬遠されがちな土地も、景観という意味で改善することで、受入れられやすくなるメリットもあるのではないかと思う。
意外と日本の景観は統一性がないように感じる。一部の、町屋スタイルや豪雪地帯、規制のある地区を除き、統一された景色は少ない。というのは、地震や災害が多いという環境にも起因するかもしれない。ヨーロッパの建築と比較すると感じる最近。
墓地や霊園のデザイン
行きたくなる霊園、というのも今後はあったら素敵だと思ったのは、こちらの霊園を見たとき。
偲ぶ形ももっと洗練していくと、美しさも伴うのではないだろうか。
今までは生産・発展をしてきた時期。そしてそれらがある程度充足した今、それらを見直し今後も継続しやすいように、場所や機能、活用までを、サスティナブルな視点で考える必要があるのは、墓じまいという状況になってきたから。
墓じまいという選択自体は悪いわけではないけれど、今後も増えるような気がする。そうすると、檀家の減少、お寺の経営がさらに厳しくなってくる。お寺の経営もかなり厳しい状況はいまでもあるようだ。
お坊さんの派遣というビジネスも出てくる状況。これはこれで、馴染みにくい行事を頼みやすくするという側面もあるので、よい変化にも思う。
お寺という馴染みのない、「経営」と考えられにくいところであるも、ビジネスとして捉える必要は確かにあると思ったのは、東本願寺の宗務長の方のカンブリア宮殿を観たとき。
お金儲け、などではなく、今後も続いていくお寺を運営していくためにも、そういう視点は今後必須だと感じた。
今までは信仰や慣習で成り立ってきたけれど、世の中の慣習がこれほどまで変化しているため、今後は今まで通りというわけにはいかなくなる。
変化に対応していくというのは人間の強みでもあるように思う。
ただ、この変化はどこに向かっていくのか、その先が気になる。
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