デッサン練習
デッサンの練習というと変なのかもしれないが、物の形を捉えるためと無心の作業ということで、最近練習中。
単純に楽しいけれど、数を重ねると上達もしたくなる。けれど、結果はまだまだといったところ。客観的に、遠くから、途中で見るようにしていても、やはり捉え方が何か違う。一番よくわかるのは、カメラでモデルと絵を撮ると違いが一目瞭然。
1枚だけならまぁ良さそうに見えるかもしれない…。しかも夕暮れなので暗いため、ぼやかした結果笑。
平均1.5時間で大体終えるようにしているが(集中力的にも)このiPhone4Sを描いた時はかなり残念な感じに。こんなものを載せる必要もないのだけれど、脳の認知としてのズレを明確に提示されたため、残してみた。すごい歪みを感じるのは、ジャックやスピーカーの角度が、かなり違うからと思われる。
描いている時の姿勢によって、視点や角度は変わるため、適宜フィードバックして修正が必要。どうも、デッサンだけを見ると頭の中のイメージで描いていたのではないかと推測されるような結果。
本当に難しいなと思うのは、視覚認知と運動感覚、そしてそれらを繋げるフィードバック、そして効果判定が出来うる経験も含まれると思われる。経験で言えば、まだ数回なので、それも致命的なのだが、対象物を的確に捉えるというのは、思っているより難しい。ちょうどそんな時、撮り溜めのヘウレーカでも印象的な内容があった。
絵というツール
言葉の発達とともに、絵に意味を持たせるというのは、なるほどな実験だった(チンパンジーの描画とヒトの描画)。
人はコミュニケーションをとる生物でもあるため、伝達手段として絵があったかもしれない。もしくは、人によって見えるものが違うため、人の目のフィルターを通したものを絵としているのは芸術的な捉え方。
「絵」というものが、ヒトにとってどういう意味があるのか、とても興味深い内容だった。
言葉が発達する前、洞窟の壁画などにあるよう、見たことや体験したことを残そうとしたことが始まりだったのではないかと、個人的に思っている。言葉とともに絵があることで、より速く・的確に・広く伝えることが出来るようになったのが、最初の絵の目的だったかもしれない。
現在は多様性に富んだ世界で、芸術という分野で別の意味を持ったものであるが、感性を刺激するという意味で、原点回帰になっているようにも感じる(チンパンジーが、ただ楽しいから描く、といったことと同じく)。
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