誰かに言いたい
秘密ごとを耳にすると、誰かに言いたくなるらしい。その意味は理解しかねるが、どうも人の習性、とりわけ日本人の習性のような気がしている。
秘密と約束していると、
- 限定した人の中での親密度が上がったり
- 秘密という後ろめたさがあったり
- 特別な情報を持っているという意識になったりする
のではないだろうか。
- について、チームワークが良くなるなら良いことではあるが、不平等な関係が生まれる。知っている者同士の意識が、仲間意識を高める一方、”あの人は知らない”という意識が人との関係に区切りをつけることにもなる。また、秘密ということで、信頼関係の確認として、口外していないことが証として働くことにもなる。
- について、不平等な関係が生まれたことで、言いたいのに言えない、または責任が生じたことで、自分たちだけが背負っている情報にどれだけ耐えられるか、ということにもなる。言ってしまった方が、口外してはいけない責任から逃れられるため、悪いことはしていないのに、罪の意識にかられる。
- について、どうも人の情報を使って、”あなただけに教える”というような、特別感を装い、情報を漏らしてしまうという、コミュニケーションのツールになっているようだ。この場合やっかいなのは、約束した人の間での信頼が失われる一方、情報を提供した方には信頼が得られるということ。また、信頼が失われたという意識が当の本人にはないことが多い。そのため、秘密とされた情報の重大さが分からず、どんどん口外することによって、情報の重要度が失われていく。
でもそんな人が重要なポジションにつけるのだろうか?また人から信頼されるものなのだろうか?
今回はそういうことが容易に想定できたため、念押しして情報公開を限定していたにも関わらず、そのような事態になったため、どの人の信用度がないかも、こちら側は見える形となった。評価になったも、非常に残念であったことと、漏れた情報を戻すことはできないことが恐ろしい。
そういう意味で、情報の管理というのはどんな時代になっても、重要かつリスク管理が必要だと感じた。
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