• 慣習からの習慣

    2020/03/19
  • ※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
  • 自分の習慣はどこから始まったのか

    春のお彼岸。時間もあるので、しかとお墓参りへ。彼岸入りの日と夕刻に近い時間だったため、ほぼ誰もいない墓地。

    なんとなくネットで確認したお彼岸で、普段のお墓参りよりはしっかりと、と記載されていたことが頭をよぎり、今まで一度もしたことのなかった、お墓の掃除もしてみた。

     

    掃除をしながら思ったのは、「そういえば、なぜお墓の掃除をしなかったのだろう」。

    今の今まで、お墓を掃除すると言っても、枯れ葉などを拾う、水をかける程度で、擦ったり拭いたりしたところを見たことがなかった。基本的にはそれで良かったようだったが、なぜか今回気になってしまい、害がない程度に掃除をすることにした。

    成育環境で見たことがなければ、もちろん意識されることはないので、自分の習慣にはないはず。親世代が間違っていたわけではないし、お墓参りの習慣も家系によって様々。それでも、お彼岸という言葉さえ気にされない世の中になっているのも間違いないようだけれど。

     

    親族でお参りに行ったときに掃除をしてしまうと、混みあってしまったり、各々がゆっくりお参りできないという問題もある。また、お参りにはそこそこの格好でいくと思われ、そのような時に掃除というのも違かったのかもしれない。

    とは言っても、大事なのは気持ちなので服装は特段気にするほどでもなさそうだが、掃除をすると気合を入れる時は、掃除用の格好で行くべきらしい。なるほど。

    ドラマで出てくる場面は、大体スーツとか気合を入れた格好が多い印象笑。

     

    自分の傾向で、気になるとやりすぎるため、そこそこで、また墓石にもダメージを与えないよう、あった掃除道具でそこそこに終わらせる。それでも、擦った分の汚れは落ちたので、積もり積もった汚れを落とせたのはよかったような。他の親族が来る前だったので、いいきっかけになったかもしれない。

    家族行事

    以前の職場で、お彼岸の季節に個人アンケートを聞いて回ると、お彼岸・御施餓鬼という言葉自体を知らない人や、お墓参りには行かない人は多かった。良し悪しのためではなく、それぞれの習慣としてあるかを聞いてみたが、やはり今のご時世は減ってきているのかもしれない。

    また、行事ごととは異なるが、選挙自体も行かない人も多かった印象だったため、慣習を超えて風習も変化していっているように感じた。

     

    それらはやはり、家庭環境に慣習として組み込まれていたか、ということと思われる。聞いた話では、幼稚園のお受験でも季節行事を尋ねられるらしく、そういう行事ごとを大切にすることは確かに、家庭環境を知るには大切な質問項目のようにも思った。わざわざ勉強しなくても、自然に行事として行われているご家庭であれば、日頃の生活も垣間見える気がする。でも、今はお受験のためにそれを学ぶという、ちょっとパラドックスなことに。

Comment

入力エリアすべてが必須項目です。メールアドレスが公開されることはありません。

内容をご確認の上、送信してください。